福岡女学院大学

福岡女学院看護大学

基本情報
所在地:福岡県福岡市南区日佐3-42-1
最寄り駅:西鉄天神大牟田線 大橋
交通アクセス:西鉄天神大牟田線井尻駅またはJR鹿児島本線南福岡駅からバス12~15分福岡女学院下車
電話番号:092-943-4174
公式HP:http://www.fukujo.ac.jp/ns/
学長:高島 一路

学部
間関係学部、人文学部、国際キャリア学部

歴史

師範学校で学び、当時ペンシルベニアで教師をしていたジェニー・ギールは、海外伝道の話に召命を感じ、ニューヨーク支部の派遣員として1879年(明治12)年、長崎に来日します。
地元有志の要請により福岡に来たギール女史は、まだ都市の面影もなく家屋もまばらだった因幡町(現在の天神2丁目)に仮校舎を設け、「日本の少女達が新しい生き方を見つける学校を」という理想を掲げ教育活動を開始します。
ほどなくその理想は福岡女学院の前身となる英和女学校の設立により結実します。
突如天神の街に現れた白亜の洋館は福博の人々を驚かせ、その洋館を校舎として、西洋式の先進的な女子教育が福岡でも開始されることとなります。

現在も日本のあちこちで制服として見かけるセーラー服。実はこれも1921(大10)年に福岡英和女学校(現福岡女学院)が採用したデザインが全国に広まったものです。
今も色あせない究極のデザイン、その製作過程には時代の要請や現場のニーズに即した関係者の粘り強い試行錯誤がありました。
1915(大4)年、第9代校長に就任したエリザベス・リーは、言葉の壁からスポーツを通して生徒たちとコミュニケーションを図ろうと考えました。
ところが当時は女学生といえば着物に袴、履物は足袋に下駄が一般的な時代、とうてい激しい運動をできる姿ではありません。
困ったリー校長は自身愛用のセーラー服をもとに新しい制服を作ろうと決意します。
ここから究極の制服作りへの試行錯誤が始まります。プロジェクトはまず素材の確保から始まり、今では当たり前のダークブルーの生地も当時は日本になく英国から取り寄せ、靴下はロサンゼルスから輸入しました。
当時日本には靴を履く習慣がなく、靴下もなかったのです。履物にいたってはリー校長の靴を参考にオーダーメイドで靴を作成しました。